愛情と勘違い

今週はバレンタインデーという日がある。私個人的にはそんなにエキサイトするような日でないのだが、一般的にはやはり恋人、夫婦、パートナーなどがお互いの愛を祝う日とされている。

くさいことを言うようだけど人を愛し、人に愛されるってどういうことなのだろう?どこで学ぶことなのだろう?確かにいろんな愛し方愛され方があるのかもしれないけど、危険な愛し方愛され方もあり、それもどこかで学ばないと分からないこともある。

私は20代初めの若い頃、素敵なプレゼントをくれたり甘い言葉をかけてくる男性に惹かれて付き合い始めた。付き合い始めてから間もなく彼は私が着ている洋服を批判したり、私の些細な間違えに異常に怒ったり、他の男性はもちろん友人に会うことすら制限され、私は毎日彼の機嫌を伺いながら泣いたり反省したり謝ったりする日々がつづいた。

家族や友人からは「あんな人となんで付き合っているの?」と心配されているにも関わらず、私はその貴重な周りのアドバイスに耳を傾けることができず、彼と付き合いつづけた。何故かこのような扱いを受けつつも、彼の行動や言葉を「愛情」と勘違いしてしまい、ある意味洗脳されてしまっていたのだ。

喧嘩になることはしょっちゅうだったんだけど、ある夜は大きな喧嘩になりほっぺたを平手打ちされた。残念ながらそれでも私は目が覚めなかった。逆に「別れよう」と言う彼を必死に止める自分がいた。

結局最後には私をサポートしてくれた姉や親友のおかげでこれは愛情じゃない、と気づくことができて彼と別れることができた。

彼と別れた後はしばらく男性不信症になったけど、数年後にはこの経験がある意味「良い経験」と解釈することができるようになった。

もっと長期でもっとひどい扱いを受ける女性はたくさんいるけど少しでもそのような女性の気持ちを理解できるような気がするし、一度あのような扱いを受けて目が覚めたおかげであれは愛情でないと分かり、二度と同じような経験をしないと誓うことができた。

愛情を受けて愛情を与えるというのは心温まる感情だ。ひたすら謝ったり、自分らしさを押し殺したり、相手の機嫌を伺ったり、もちろん体を痛めつけるようなことをするのは愛情ではない。

あのとき傷ついている私をサポートしてくれた家族や友人から感じたのは愛情だ。

愛情と勘違いしたあのときがあったからこそ今は心温まる愛情を感じ与えることができるようになっている、と私は思う。

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