パーフェクトなんて無い
ヨガの話になったり、ヨガに誘うとよく聞くのが「うまくできない」とか「体が硬い」というセリフ。
人間誰だって何かをやるには上手にやりたい、もしくは「パーフェクト」を目指したい、というのが当たり前だとは思う。
んが、特にヨガのプラクティスでは「上手」とか「パーフェクト」を目指すのは矛盾しているような気がする。何故なら、まずはヨガは体を使って内観することが目的だからハッキリ言ってしまえばポーズや動きがどうだろうと関係無いって言ってしまえば関係無い。
外からポーズがどう見えているかというより「何を感じているのか?」「どんな考えが頭の中で流れているのか?」に集中するのこそヨガだと思う。
「パーフェクトなヨガポーズ」なんて無い。
自分にとってその日、そのときに必要としている目的に合ったパーフェクトなヨガポーズはあるかも。
左と右で骨格も違うから左右でパーフェクトバランスも有りえ無い。
この2つの骨盤、右の骨盤と左の骨盤で全く一緒に見えるでしょうか?
ひとつの骨盤でも左右全く同じなパーフェクトバランスでしょうか?
「パーフェクトなヨガポーズ」なんて無い。
以前読んだ 本に書いてあった文を紹介する。
“Perfectionism is not the same thing as striving to be your best. Perfectionism is the belief that if we live perfect, look perfect, and act perfect, we can minimize or avoid the pain of blame, judgment, and shame. It’s a shield. It’s twenty-ton shield that we lug around thinking it will protect us when, in fact, it’s the thing that’s really preventing us from flight.”
—- Brené Brown, The Gifts of Imperfection
要約すると
『完璧主義は自分のベストを尽くすとという意味ではない。完璧主義というのは自分が完璧な生活をし、完璧に見えて、完璧な行動をすれば非難、批評、恥を最小限にしたり完全に避けたりすることができると信じていることだ。自分を守ってくれると信じて作りあげる壁だけど、実は自分が羽ばたくをことを防いでいる。』
私もこうやってブログを書いたり、クラスを教えたり、ビデオをアップしたりすることに躊躇するのはどこかで「上手に」「完璧に」やりたい見られたいという気持ちがあってprocrastinate(後回し)してしまっていたのは事実だ。ネガティブな意見を言われたり、思われたり、自分が変に見えたりしたら嫌だなぁと思って自分のやりたいことを止めていた。
そう思わないようにしよう!と決めてすぐできることじゃないけど少しずつ自分を解放して羽ばたいていきたいと思う。